会社勤めをしていた時。
会社での振る舞いがそつなく、大人で、場の空気を乱さなくて、誰からも嫌な気を向けられない人が「良い人」、「すごい人」、「仕事ができる人」という認識を、私は持っていました。
私以外の人はみんな、そういう人に見えて、私も真似したい、そうなりたい、と思っていました。
そのうち私も、「大人になって」言いたくもないことを言ったり、謝りたくない場面で謝ったりするようになりました。
でも、下げたくない頭を下げるのはとても辛くて、その場面での私の心はすごく痛くて、涙が出そうになったのを覚えています。
仕事の内容なのか、誰かとの衝突なのか、それともやりたくないことをしなければいけなかったのか、記憶は定かではありません。
ただ、やっとのことで「申し訳ありませんでした」という言葉を絞り出した記憶だけは残っています。
今私は、社会ではそういう場面が、いくつもいくつも、いくつも、起こっていることがわかります。昔も今も。
ひとつ大人になって、場を収めることが良しとされた中で、それができない人もいたはずです。今もいるかもしれません。
そんな人たちにとって、謝ったり、言いたくないことを言うことは、心臓がよじれるほど苦しいことだと思います。
ただ一つの観念、価値観の中で、良いとか悪いとか、決め付けられること。そこに疑問や違和感、体が拒否反応を示すことがあったら、無視しないでください。
観念や価値観は、たった一つではないはず。自らの心、自然に湧き上がる感覚は、生きる上での本質的なこと。
それらを活かし、自分に正直に生きる。
あの時の心の痛みは、今も私に多くのことを教えてくれています。