身近な人が亡くなって、会わなくなって、さまざまなことを想い出します。生きている者は想い出すことしかできません。しばらくして、数年経っても、想い出すことがあります。
先日、亡くなった父のことを想い出しました。父が若い頃に大好きだった食べ物のこと。
父はラーメンが大好きでした。食べ過ぎる父の体を心配する母の監視の目もあり、父は高齢になるにつれて、大好きなラーメンを食べる機会をだいぶ控えるようになりました。
私はラーメンをあまり食べないのですが、先日、久方ぶりに食べる機会がありました。久しぶりに食べるラーメンはとても美味しく、同時に父のことを想い出しました。そして、父がラーメンを美味しく食べていた気持ちに共感するような気持ちになりました。
その時に気付いたのですが、亡くなった人が生前に大好きだったものを食べる行為というのは、その人のことを強く鮮明に想い出すことができるようです。味覚を通してその人の気持ちに同調することができて、そしてさらに、その亡くなった人を生きている私の中に呼び起こすことができるのではないか、と思いました。
人が亡くなってあの世へ行くと、この世で食べていたものを食べることができない、と聞いたことがあります。あの世は空腹を感じることのない満たされた世界なので、不自由はないとのことですが、俗世での好物の味、というものには懐かしさや未練を感じる、とも。
あの人がこの世から旅立ち成仏した後も、この世にいる私たちはあの人を想い出すときがあります。
あの人が大好きだったものを、あの人の代わりに私たちが食べてあげましょう。
ということは、あの人の供養になるのかもしれない、と思いました。
私の自己流の供養の仕方です。
それから、自分の好物ではないのになぜか買ってしまった、食べようという気分になった、という時、亡くなったあの人があなたにそうさせたのかもしれませんね。
直感でそう感じたら、あの人と一緒になって、美味しく食べてあげましょう。
きっと良い供養になると思います。