ちょうちょが飛んでいると、亡くなった誰かの魂かな、と思います。
黒いちょうちょは、私の父と母かな、と以前はよく思いました。
最近はあまり見かけません。きっと、この世に未練を残すことなく、完全にあちらの世界へ旅立ってしまったのだなと想像しています。
それはそれで、彼らの魂にとっては喜ばしいこと。私は少し寂しいですが。
最近は、黄色いちょうちょを見かけます。きっと、成仏してあちらの世界に馴染んでいる魂が、この世に少しだけ戻ってきているのかな、と思います。誰か気になる人を見に来ているのかもしれません。
亡くなった人がどんなふうにこの世を見ているのか、実は誰にもわかりません。想像するしかありません。
私自身が一番近いかな、納得できるなと思ったことは、村上春樹の小説の中にありました。
たとえば、「羊をめぐる冒険」の鼠と羊男、「街とその不確かな壁」の子易さん。
死者はこの世に現れる時、自ら望んで現れているのではないらしいです。それから、先に旅立った誰かと一緒にいる、ということも必ずしもそうではなさそうです。時期や成仏の段階にもよるのかもしれませんが。
これは私の感覚であって、他の人は違うかもしれません。きっと違うでしょう。
とにかく、私の父と母は、別に一緒に居なくてもいいと思います。魂の存在となった今、きっと好きな時に一緒に居たりいなかったり、自由で気楽に浮遊しているのかな、それでいいや、と思うのです。
なにしろ、たくさんのご先祖さまもいらっしゃるわけで、魂の繋がりが深いどこぞのご先祖様と一緒に居ることもあるでしょう。
今年もお盆が近づいてきたこの頃、黄色いちょうちょを見かけて、少し彼らのことを思い出しました。