家族、愛すべき厄介な者たち

数年前に、母を亡くしました。

今の私の中で新たな感情が芽生えています。

幼い頃から母と私は、時に濃密で、時に離れ離れで、多くの時を過ごしました。どんなときも母の存在を強く感じて生きてきたと思っています。

それは私の気持ちを温かくしてくれる一方で、息苦しさや強い反発心を生じさせるものでもありました。

母は、小さい頃から小柄な私を心配し、いろいろなことに口出し或いはお節介という名のアドバイスをしてくれました。

私が幼いときの母は、かけがえのない温かい存在、私が学生の時は、口うるさいお節介な存在、私が社会人になってからは、私の将来を閉ざす存在、、、

そんな風に冷静に、母の存在を感じることができるようになったのが、最近です。

そしてさらに、永遠に母が遠い所へ旅立ってしまった今、離れ離れになり感じることは、私の将来の扉がまた開いた、ということです。

母が亡くなって、母から否定されたり、感情を押さえつけられたり、もうそういうことがないと思うと、気分爽快でさえ思います。

不謹慎かもしれませんが、正直な気持ちに違いありません。

母のことは愛しているし、叶うことならたまに会ってお喋りもしたい。自分が旅立つときは母にまた会いたい。

でも、母が健在の頃、自分がやりたいことを自分の方法で、自分のタイミングで行動することは難しいことでした。

今はそれができると思っています。これからは自分の可能性を最大限広げ、今までできなかったことを全部やり遂げたいと思っています。

できれば、母に見ていてもらいたいな。と思います。

「私にはできなかったよ。あなたができると思わなかったけど、あなたはできたね。頑張ったね」

と母から言ってもらえると思います。


家族との関係性にはさまざまなケースがあります。私にとっての家族は、愛すべき人たちでありながら、自分の行く先を時に遮り、真っ直ぐには進ませてくれない存在でした。

それが良いとか悪いとかの感情を私が持つかどうかは別の話で、単なる事実です。

これは今私が持つ感覚で、これから数年後、数十年後に、どのように変わってゆくのかもまだわかりません。

人が亡くなる、大切な人を失うことは、悲しみを伴うことです。

その後、悲しみを越えて湧いてくる感情に対して、冷静に向き合い、深く自分を見つめることで、また一歩先の人生の発見や学びがあるのだと思います。


事実と感情を冷静に切り離し、別々に分析すると、新しい価値観に出会えます。

その時、その瞬間に出会う感情に正直に向き合うと、新しい自分に出会えます。


クリスマスや年末年始、家族と過ごす時間や、再会する機会がある今の時期、母のことをいろいろと思い出してしまいました。

母を含めて家族とは、愛すべき厄介な人たちだな、と思いました。


家族外の人に話すことによって、違う方向からのアプローチが見つかるかもしれません。話すことによって、感情の吐き出し、ガス抜きができるかもしれません。

気持ちの風船がパンパンに膨れ上がり、爆発する前に、話してみてください。

家族や両親に関するお話、ご相談、等々、いつでもお受けいたします。