日常的に精神性を重視して生活すると、どこかに潜り込んで眠っているスピリチュアルで、霊的な能力が目覚め、開花し、動物的で本来的な霊能力が開花します。
様々な人がいる中で、その能力の多少、方向性の違いなどはありつつも、動物の一種である私たち、すべての人にその能力が具わっています。
この物質的な私たちの世界では、目に見えるもの、手に取れるものがすべてであると思われがちですが、そうではないこと。
目に見えないこと、手に取れないことに対して、その存在を意識し、感じ、認めていくことを段階的に行っていくことで、次第に精神性が高められていくでしょう。
よく、霊感がある人、ない人、という話になりますが、すべての人に「霊感がある」と私は思っています。感じやすい人か、感じにくい(感じたくない)か、ということかもしれません。「霊感」という言葉に抵抗があるのかもしれませんね。
見えない存在からのメッセージ
精神性が高められると、不思議なことに遭遇しやすくなります。
正確に言えば、精神性が高くなくても不思議なことは起こっているのですが、気付いていないだけ。精神性やスピリチュアリティが身に付いていると、その出来事をキャッチしやすくなるということです。
最初は日常の些細なことから、送られてきます。
ここで期待しないで欲しいのですが、その出来事にメッセージ性はあまりありません。
不意に声が聞こえた、といってもその声は「洗濯しなさい」。近い将来に何かを「選択」するかもしれませんが、当面は身の回りの「洗濯」をして過ごすのが得策のようです。
このように、日常的なことの中に紛れてくるときは、私たちが「気付く」かどうかをテストしているのかもしれません。私はそう思うようにしています。
こうして、私たちが「気付く」人であるかがわかったら、時々メッセージ性を込めて何かを送ってくるのかもしれません。その必要がある時に。
見えない存在とは、私たちにとって身近で、大切で、必要なものです。それは、会ったこともないご先祖様たち、潜在意識下の自分自身、超自我といわれるハイヤーセルフ、神仏に近しい存在、etc…
私たちが生きていくうえで、さまざまな局面でその存在を必要とし、助けてくれる存在になり得ます。「困ったときの神頼み」といいますが、困ったときに助けを請えば、必ず助けてくれます。
でも、普段から連絡を取り合い仲良くしておくことは、それはそれで、少し楽しそうです。
精神性は誰でも高められます。そうすることで、未知の自分と出逢うこともできるかもしれません。
<参考ブログ>