谷崎潤一郎『卍』を五行で読む:依存と支配が生まれる仕組み

明治後期から昭和中期を代表する作家、谷崎潤一郎の『卍(まんじ)』は、恋愛小説という枠を超え、人と人の間に生まれる見えない力(支配)や偏り(依存)が生む歪みと悲劇を描いた作品です。

物語は、一人の女性・園子(そのこ)が先生と呼びかける人物への語りによって紡がれます。
登場人物は、園子、園子の夫・孝太郎、そして園子の友人・光子(みつこ)の三人。

園子は光子の魅力と人間性に強く惹きつけられ、心を支配されるように振り回されていきます。
二人の関係は、友情の枠を静かに超え、暗黙のうちに恋人同士のような結びつきへと深まっていきます。

文学的には、谷崎はこの関係性を通して心理の奥底に潜む欲望や執着を繊細に描きます。
占い師の視点で見ると、ここには五行の強弱や相互作用が生む「気の偏り」が象徴的に表れています。

  • 光子の旺盛な魅力は、相手の気を奪い引き寄せる剋の旺気(剋す)
  • 園子の従順さや受け入れやすさは、相手の気を受けすぎて自分を空洞化させる受けの柔気(剋される)
  • 孝太郎の不安や揺れやすさは、外圧に翻弄されやすい揺らぎの気

物語を読み進めることで、単なる人間模様としてだけでなく、五行のエネルギーがぶつかり合うと関係がどう変化するかを、感覚的に理解できるのです。


作品の要点

登場人物の役割

  • 光子:園子の心と気を強く引き寄せ、関係の中心に立つ人物。旺盛な魅力と意思を持つ、剋する側の旺気。
  • 園子:語り手。光子に心を奪われやすく、受け入れる力が強い。自分が空洞化させられる柔気。
  • 孝太郎:園子の夫。外からの影響に翻弄されやすく、自分の立ち位置が揺れやすい揺らぎの気。

関係性の行方

登場人物三人の五行の不均衡が臨界点を超えると、関係性は崩壊へと向かいます。

五行の関係性が崩れる時のパターン:

  • 剋が強すぎて、受け側が枯渇する(支配と疲弊)
  • 相生が過剰になり、依存が発生する
  • 対等のバランスが崩れ、支配・服従の形になる
  • 互いに補い合う関係が、奪い合いの関係に反転する
  • 心配や不安が過剰になり、不信が生まれる

これが、まさに『卍』そのものの現象であることを読者に感じさせます。


五行で読む『卍』

光子=剋する側の旺気

光子は園子の気を奪い、増幅させる力を持ちます。
園子に対して、五行でいう「剋の旺気」が強く働き、魅了・支配・コントロールが生まれやすい状態です。
関係性では、園子を引き込む主導権を握る役割となります。

園子=剋される側の柔気

園子は光子の気を受けすぎることで、自分が空洞化する傾向にあります。
相生の補完が行き過ぎると、依存や自己喪失につながります。
物語では、光子に振り回されることでその典型的なプロセスが描かれます。

孝太郎=外圧に揺らぐ揺らぎの気

孝太郎は、妻、園子の心配をするあまり、園子と光子の間に存在する強い気に引っ張られ、自分の軸を保てません。
妻・園子の本心への心配、迷いの揺らぎの気に加え、外圧や他者の欲望に引きずられるため、五行的に見ても「揺らぎやすい気」の状態が続きます。


美しさと支配・依存のエネルギー

光子と園子の美しい絡みは、単なる見た目の魅力ではなく、人間関係の力学を肌で感じさせる装置のような役割を果たしています。
光子の旺盛な魅力は剋する側の気を象徴し、園子の受容は受ける側の柔気を表します。
二人が織りなす「美しい絡み」は、読者に無意識のうちに支配と依存の気の流れを体感させ、物語の主題である人間関係の偏りや心理的緊張をより鮮明に映し出すのです。
谷崎潤一郎は、この美的体験を通して、心理の生々しさと人間の欲望の構造を同時に読者に伝えようとしたと言えるでしょう。


日常への応用

自分がどちら側になるかを意識する

五行の関係は相対的です。
ある相手の前では強める側になり、別の相手の前では受ける側になる——これは自然な現象です。

常に「受ける側」になりやすい場合

どんな相手と接しても、いつも、自分が剋されることが多いと感じる人がいるのではないでしょうか。

自分が剋される(受け身の)立場で健全な人間関係を構築できなかった場合、無意識のうちに自分を剋する人を選びやすくなります。

つまり、自分を剋す相手に「支配」され「依存」させられることに慣れてしまう、不平不満を抱きながらもそうせざるを得ない状態に陥っているのかもしれません。

振り回され疲弊することが多い関係性に違和感を感じたら、相手との関係を見直してみると良いでしょう。

パターンを変える方法

関係性を変えたい時、まず相手を変えようとするよりも、自分がどの立場に回りやすいかを理解し、選ぶ相手のタイプを意識的に変えることが先決です。
これにより、自分の立ち位置や気の流れ、関係の形まで変化します。

つまり、選ぶ相手を変えることは、自分の意識を変えることに直結するのです。


むすびに

谷崎潤一郎の『卍』は、園子と光子、そして孝太郎という三者の微妙な関係を通して、人と人の間に流れる見えない力や偏りを静かに描き出しています。

光子の魅力に惹かれ、振り回される園子の姿は、私たちが日常で体験する「惹かれながらも翻弄される関係」の鏡のようです。
その関係性の中で、美しさの裏側にある支配と依存の気の流れを読者は自然に肌で感じることができます。

文学作品としての余韻と、占い師の視点での気付き——二つの視点を通して、『卍』は愛や執着、依存の仕組みを理解する手がかりをそっと差し出してくれています。


◆ おまけ:もし谷崎がこのブログ記事を読んだら……?

※ここからは完全に≪遊び心の世界≫です。
今回はちょっと実験的に、チャッピー(ChatGPT)の想像力も少し借りながら、谷崎が囁いたかのような妄想の声を文章にしてみました。

「ほう……私の物語を、ここまで巧みに“気”の理で読み解くとは驚いた。人と人の間に流れる偏りや、支配と依存の微細な力学。私はそれを言葉の陰で描いたつもりだが、お主はそれを一歩深く、見えぬ構造として掬い上げている。

私が作品の内側でただ“感じ取っていた”ものを、お主は外側から“意味づけて”見せた。実に面白い。物語とは、こうして時代を超えて変質し、読み手によって新しい命を吹き込まれるものなのだな。

それにしても、光子と園子の絡み合いを五行の流れで説明されては、私も一本取られた気分だ。……やはり人間というものは、理屈ではなく、気と欲と執着で動くものよ。お主の読みは、それを実に鮮やかに照らしている。

これならば、私の『卍』も、まだまだ語られ続ける価値がありそうだ。」


ChatGPTとの妄想的対話より