止まった人生から生還することについて

若い頃の経験によって、その後の人生が少し変わってしまうことがあります。

上手く行った経験ではなく、むしろ失敗してしまったことによって。

あるいは、自分自身にとってはそうでなくても、世間から見れば「失敗」とされるような経験によって。

その経験は、おもに、恋愛のこと。

失恋した。

結ばれなかった。

関係を続けることができなかった。

自分や自分たちではどうにもできない事情があった。

そんな恋愛の経験が、その後も長く記憶の中に残り続けることがあります。

若い頃には、恋愛に疲弊するほど、自分の時間や気持ちを注ぎ込むことがあります。

今になって振り返れば、「あの恋愛だけが人生のすべてではなかった」と思えるかもしれません。

けれど、そのときには、本当にそれほどのものだった。
その恋愛の先に、自分の人生があるように思っていた。

だから、それが壊れたとき、ただ恋愛が終わるだけでは済まないことがあります。

自分が思い描いていた未来まで、一緒に失ってしまったように感じたのです。

人生がそこで少し止まってしまった。


私自身にも、若い頃、遠距離恋愛で人生がうまく立ち行かなくなった時期がありました。

親に反対され、自分の思うように動くことができなかった。

もちろん、今になって考えれば、すべてが親の反対のせいだったわけではありません。

相手にも事情もありました。タイミングが合わず、こちらへ来てくれなかったという事実もあります。

それでも、当時の私にとって、その恋愛が人生に与えた影響は小さなものではありませんでした。

今となって振り返れば、あの出来事によって人生のすべてが決まったわけではない。

けれど、あのときには、そう思えるほど大きな出来事でした。

一方で、知り合いから聞いた、ある女性の人生のことが、ずっと心に残っています。

若い頃、結婚を約束していた相手との関係を親に反対され、結婚をやめたそうです。
その後、心を壊すようにして引きこもりになり、長い年月を独身のまま過ごしてきたという。
今、その人はもう六十代になっているはずです。

その話を聞いたとき、私はとても切ない気持ちになりました。

親は、反対せずに自由にさせてあげればよかったのに、と。

でも、もっと強く思ったのは、あのとき、人生が止まってしまったのかな。
そして、その一点から動き出すことができないまま、周りの時だけが進み、そのまま長い時が過ぎてしまったのかな。

ということでした。


私は今、自分の人生を生きています。

あの頃の恋愛がどうなったかとは別の場所で、仕事をし、いろいろな人に出会い、自分なりの人生を歩いています。

だからといって、私があの人より強かったから、生還できたのだとは思いません。

私とあの人の違いは、それほど大きなものではなかったのかもしれません。

少しだけ、私がラッキーだった。
状況が変わるきっかけがあった。
次の場所へ進むための何かが、少しだけあった。

深く傷つく出来事を経験し、そこから戻ってこられる人と、なかなか戻れない人がいます。

その違いを、その人の強さや弱さだけでは決めることはできません。

周囲の人の、良かれと思った一言が、その人を救うこともあります。
その逆もあります。

深く傷ついている場所を誰にも理解してもらえないまま、一人だけで取り残されてしまうこともあります。

「もう忘れたほうがいい」
「次があるよ」
「そんなことでいつまでも悩んでいてはいけない」

悪意のない言葉でも、その人がまだ人生の底にいるときには、すぐに立ち上がることなどできません。

だから私は、恋愛によって人生が止まってしまった時間を、軽く扱いたくないと思います。

それだけ、その人は真剣に生きていたのかもしれません。

その恋愛に、命を懸けるような思いで向き合っていたのかもしれません。

恋愛がすべてだった時期があってもいい。

誰かを深く愛し、その人との未来を人生そのもののように思ったことがあってもいい。

けれど、恋愛が成就するか、失敗するかとは別のところに、その人だけの人生があります。

恋愛の中で人生が止まってしまったとしても、それですべての人生が終わるわけではありません。

すぐには動き出せないこともある。
長い時間がかかることもある。

それでも、もし再び、自分の人生を歩き始めることができるなら。

昔の自分に戻るのではない。
何もなかったことにするのでもない。
命を懸けるほど大切だった恋愛を、自分の人生から消すのでもない。

その経験を通ってきた自分のまま、もう一度自分だけの人生を生き始めます。

私はそれを、「生還」と呼びたいと思います。